1. The Wife
小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十五章 幽靈と化け物について (七)/ 第二十五章~了
七
『あゝ、金十郎さん』私は歸るみちすがら云つた、『私はこれまで死人が歸つて來る日本の話を澤山讀んだり聞いたりして居る。それから君自身からも死人が歸ると云ふ事が今でも信じられて居る事實とその理由を聞いて居るが、讀んだ事と、君から聞いたところから考へると、死人の歸つて來るのは望ましい事ではない。つまり憎いから、妬ましいから、或は悲しくて落ちつけないから歸つて來る。しかし惡意でなく歸つて來る話は――どこかに書いてないかね。實際そんな話は普通恐ろしい事や無道な事ばかりで綺麗な事や眞面目な事は何にもない』
さてこんな事を云つたのは、彼を誘ひ出すためであつた。そこで私がこれから書く話をしてくれたから丁度私の注文通りの返事をしてくれた事になる、――
『昔、何とか名前は忘れたが或大名の時分にこの昔からの町に大層仲の好い男と女がありました。名前は殘つてゐませんが話は殘つてゐます。小さい時から許嫁になつてゐました、そして双方の兩親は隣り同志でしたから、子供の時に一緒に遊びました。そして大きくなるに隨つてお互にいつも益々好きになるばかりでした。
『男の方が一人前にならないうちに、兩親がなくなりました。しかし彼は、高い身分の役人でこの靑年のうちの友人である富有な武士に仕へる事ができました。そしてこの保護者はすぐに彼を引立てて、禮儀正しく、賢く、そして武術にすぐれるやうに世話をしました。それでこの靑年は自分の許嫁と結婚のできるやうな地位にぢきに達せられさうに思はれました。ところが北と東に戰爭が起つたので、彼は突然主人に隨つて戰場に赴くやうに召集されました。しかし出發の前に女に遇ふ事ができました。そして女の兩親の前で誓約を取交(かは)しました。そして生きてゐたら、その日から一年以内に結婚するために許嫁の處ヘ歸つて來る事を約束しました。
行つてから餘程になりましたが、戰地から便りがありません、今日のやうな郵便がその當時なかつたからでした、女の方で戰爭の運と云ふ事ばかり大層心配しましたので、そのあげくすつかりやせて血色がなくなつて弱りました。それからやうやく軍隊の方から大名の方へ來た使から男の噂を聞きました、それからもう一度別の使から手紙が屆きました。それからさき何の沙汰もありません。待つ身になると一年は長いものです。その一年は過ぎましたが、彼は歸つて參りませんでした。
『いくつかの季節が過ぎましたが、歸つて參りません。それで女は男を死んだものと思ひ込みました、それで病氣になつて、床について、死んで、葬られました。外に子供のない年老いた兩親は大層悲しんで、うちが淋しくなつたので嫌ひになました。暫らくして二人は持つてゐる物を皆賣拂つて千箇寺に出ようと決心しました。日蓮宗の千箇寺をするには長年かかります。それで小さい家と、家の中の物を一切賣拂ひました。先祖の位牌と、賣つてはならない聖い物と、葬られた娘の位牌だけは別にして旦那寺に預けて行きました、さうするのが、郷里を去る人々の習慣です。このうちは日蓮宗でお寺は妙高寺でした。
兩親が旅に出てから四日しかたたない日に、娘の許嫁が歸つて參りました。主人の許しを得て、約束を果す事を工夫してゐたのです。しかし途中の國々は到る處戰爭ぐで通りや峠は軍勢で固められてゐました、それで色々の難儀で歸りが長引いたのです。それから自分の不幸を聞いて悲しみの餘り病氣になりました、そして死にかけて居る人のやうに、長い間人事不省になつてゐました。
『しかし力が出て來ると、色々の苦しい記憶が又歸つて來て、自分も死ななかつた事を殘念に思ひました。それから許嫁の墓の前で自害しようと決心しました、それから人に見られないやうになるとすぐに、刀を取つて少女の葬られた墓地へ參りました。そこの妙高寺の墓地は淋しい場所です。そこで女の墓を見つけて、その前に脆いて、祈りかつ泣いて、これから自害する事を彼女にささやきました。すると不意に彼は女の聲が「あなた」と叫んで、女の手が彼の手に觸れるのを感じました、そこでふり向いて見ると彼のわきに彼女がニコニコにて跪いて居るのを見ましたが、昔通り綺麗で、只少し色が靑ざめて居るだけでした。その時彼の心臟は躍つて、今の不思議と疑ひと嬉しさで言葉が出ませんでした。ところが、女は云ひました『疑がつちやいけません。本當に私です。私死んだのではありません。皆間違です。私死んだと思はれて葬られましたの――早まつて葬られましたの。それで兩親も私を死んだものと早合點して巡禮に出ちまつたのです。でも御覽の通り私死んぢやゐません、――幽靈ぢやありません。私です、疑がつちやいやですよ。そして私、あなたの心、よく分りました、それで苦しんで待つてゐたかひがありました。……とにかく、さあ、すぐに外の町へ行きませう、さうしないと人がこの事を聞きつけてうるさいから、皆私を未だ死んだ者と思つてゐますからね』
『それで二人は誰にも見られないで、出かけました。そして甲斐國身延村までも出かけました。そこに日蓮宗の名高いお寺があるからです。女はかねて申しました、「私の兩親がきつと巡禮の間に身延に參詣なさると思ひますから、そこに居ると見つかつて皆又一緒になれます」そこで身延に來てから女は「小さい店を開きませう」と申しました。そこで聖い場所へ行く廣い道で、小さい喰べ物店を開いて、子供等のために菓子やおもちやを賣り、巡禮のために食物を賣りました。二年の間そんなにして暮らしましたが店は繁昌しました、それから男の子が一人生れました。
『ところで子供が一年と二ケ月になつた時、妻の兩親が巡禮の道すがら身延に參りました、そして食物を買ひに小さい店に立寄つて、そこで娘の許嫁を見て、驚き叫んで、泣いて、色々の事を尋ねました。それから男は兩親に入つて貰つて、二人の前でお辭儀をして、かう云つて二人を驚かせました「實はお孃さんは死んぢやゐません、今私の妻になつてゐます、そして私共の間にむすこがあります。どうか行つて喜ばせてやつて下さい、もうかねがねお遇ひする時を待つてゐましたから』
『子供はゐましたが、母の方は見えません。ほんの一寸出かけたやうで、枕が未だ暖かでした。長い間待つてゐました、それからさがし始めましたが、どうしても分りません。
『それから、母と子供を蔽ふてあつた蒲團の下に、以前妙高寺に預けて置いた覺えのある物――死んだ娘の位牌――を發見した時に始めて、彼等はさとりました』
話がすんでから、私は考込んだやうに見えたに相違ない、それは老人は、かう云つたから、――
『多分、旦那はこの話をばかばかしいとお考へなさるでせう』
『いや、金十郎さん、この話は私の胸にこたヘました』